だからって終わってるわけじゃない

アラフォー、バツイチ、ヒキニート、だからって終わってるわけじゃない・・からツライのかもしんないけど

沖縄編16 ー手握りは38度までー

 

博物館を出てタクシーを拾う。

劇場の入ったビルを指定したのだが、全然知らない道にたどり着いた。

 

「これ以上は車じゃいけないので」

 

とビルの裏手で降ろされる。

ヒールのない靴を持ってこればよかった、靴擦れが痛い。

 

運転手さんに教えてもらった通り進んでいくと、ちょうどドラッグストアがみえたので、そこで絆創膏を買うことにした。数枚で事足りるのだが、箱でしか売っていない。仕方なく一番小さい箱を手にレジに向かった。

 

お笑いライブを見る前に、お腹を満たしておく必要がある。

 

目についたハンバーガー屋に入った。近所で慣れ親しんだ大型チェーン店にはないメニュー、レジ前には特にお勧めらしいハンバーガーの写真があった。イカフライみたいのがのっていたので、店員さんに確認すると

 

「フライドオニオンです」との答え。

 

迷わず注文した。

 

2階に上がり1人用の席で食べる。

ゴマが香ばしいパンズ・とろけるモッツアレラチーズ・カリカリのオニオンリング・トマトにパティ

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5段階評価したらきれいな5角形ができそうな至高の逸品だった。

大口開けすぎて口角が裂けても後悔のないうまさである。

 

元夫へのお土産に買っていこうかという考えがよぎるが、日持ちしないだろうし持って行けたとして、出来立てのおいしさは伝わらないだろうから諦める。 

 

この完璧なバランスを有するハンバーガーを食べながら思う。

私たちのバランスはどうだったのだろう?

 

とても気があい、信頼できる友人から夫婦になった元夫と私。

一見理想的な結婚に思えたが、今は数百キロ離れた場所で別のことを考えている。 

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試しに私と夫の5角形を結婚前と後で比較してみる。

項目はやさしさ・行動力・スタイル・清潔感・堅実さの5つ。

 

結婚前は両者、自分をよく見せたいという気持ちが働くので多少気張っていた部分もあったと思う。それが顕著に現れているのが結婚後、お互い身なりに気を使わなくなったしやさしさも減った。

 

不思議なもので、結婚後の二人の点の高い方を繋げていけば、バランスの良い5角形ができる。(なるほど。こうして夫婦は補い合ってゆくのだな)と納得しかけるが、ことはそう単純ではない。

 

普段なら穏和な夫でも、行動力のある妻が頑張ればいいだけなのでうまくいく。しかし、40度の熱を出し内側からドラの音が響くような頭痛にうめいているときに、夫がそっと手を握ってきたとしたら。

 

 

 

 

 

帳り倒したくなりはしないだろうか。

 

 

 

 

 

"手握り"は38度まで40度以上は、しかるべき処置か病院の手配だと思う。 

 

だけど夫にしてみれば「行動力は私に任せて」と勝手に引き受けていたくせに、熱が40度あるからといって「何もしてくれない」と責められるのはお門違いというもの、やりなれていないことを急に求められてもできるはずがないのだ。

  

"いざとなったらやってくれるだろう"と"子供ができたら彼も変わる"は

 

都市伝説と思っていた方がいい。

 

私も夫に腹をたてるぐらいなら、予め夜間診療に応じてくれる病院を調べておくべきだった、と時を経た今は思う。

 

もちろん「料理は私、子供をお風呂に入れるのはあなた」など、夫婦で担当を決めれば無用ないさかいを避けられるし、家事の効率化をはかれる。しかし、担当外のことだからと相手に任せきりにしてしまうのは間違いだ。イレギュラーな状況に陥った場合に困るのは、自分なのである。

 

お互い自立した大人という自覚を持って、自分のことは自分でやるぐらいの考えでいるぐらいがちょうどよいのではないか。

 

とはいえ離婚して既定路線から外れた私だ、夫婦関係において何がベストかなんて断言できるはずもなく・・

 

ただ現時点でいえるのは

 

靴擦れができた道の先にドラッグストアがあったり、何気なくよったハンバーガー屋で最高の御馳走にありつけたりもするから

 

(既定路線から外れても、それはそれで意外にやっていけるものよね。)

 

 てことぐらい

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小さすぎた絆創膏をはって劇場へ向かう。

沖縄編15 ー他人のちんすこうー

 

おい

 

おいっ

 

なんで私はこんな所まできて他人のちんすこうをみている?!

 

 

いい旅夢気分に浸っていたら、虹の斧で頭カチ割られた。 

目の前の棚を蹴倒したい衝動にかられるが、もう一人の自分の声がそれをとめる。

 

「落ち着け、これは芸術。アートよ!ヴィーナスの誕生を思い出して!」

 

あれは絵だし、隠すとこ隠してる。

 

ダヴィデ像なんてどうよ!もろポロリ!しかも立体だかんね!!」

 

神がかったマッチョのイケメンだよ、ミケランジェロだし。いやすごい人が作ったからどうとかじゃなく、心の準備できてなかったから

 

「そんなに騒ぐようなモノ?!尻もちんすこうも生活よ。生活こそアートじゃない!」

 

だけどダヴィデ像には顔があり腕もある。あれがちんすこう単品でコロンと置かれて御覧なさいよ。誰だって「だから何?!」ってなるでしょが

 

「トルソ!トルソの美学ってやつ?!そっち系ですから!!頭や手足をそぎ落とした胴体部分だけの彫刻をトルソって言うらしいけど、そぎ落としてそぎ落として、落とした方にフォーカスあてちゃっただけなのよ。たまたま」

 

タマだけに?へっくだらない。それを言うなら、この棚が額縁でのってる写真が作者自身を表すモザイク画ってことではないの?できることなら別の場所でモザイク使って欲しかったけどね。

 

「1つ1つを凝視してはダメ。全体でアートを感じるの。」

 

うーーーーーん

 

 

 

しかし、ちんすこう・・

 

これは作者からの挑戦状なのだ。ちんすこうごときでなんだかんだ言うくらいならアートを語るに値しないと、フルーツポンチを逆から言わせて喜んでいる小学男子と同じレベルだと、認めることになる。

 

っていうか「ツールフ」て何?

 

「チン〇」いわせたいがために後半、意味不明になってるじゃん。それとも私が知らないだけでちんすこうには時々「ツールフ」という現象が起きてるの?足がつるみたいな感じで「あっいま、チン〇ツールフだわ」って感じで・・私はその場を離れた。

 

アートがどうこうよりも「朝っぱらから他人のちんすこうなど見たくはない」という気持ちが勝ってしまったのだ。 

  

敗北感に包まれながら中庭に出る。

 

 

 

ビルの足場のおばけみたいなモニュメントが立っていて、小鳥の遊び場になっていた。

 台湾あたりから来たと思われる家族が、しきりと写真をとっている。

 

(私も順調に結婚生活が続いていたら、あんな風に家族旅行なんかしてたんだろうか?)

 

幸せそうな家族を見るたびに、あったかもしれない未来と重ね複雑な気分になる。

 

出口近くに伝統的な沖縄の民家があり、裏庭にシーサーの石像(おそらく実物大)がいた。隣に回って写真をとる。

 

 

 

(・・メスかしらオスかしら)

 

 

 

地面に膝をつき、かがみ込む私に突き刺さる視線。さっきの台湾家族がすぐ近くにいた。

 

男の子が何か問いたげな視線を送ってくるので、私は「あっもうこんな時間!いっけなーい」という顔をして出口に向かう。台湾家族に

 

この石像の前では膝をついて祈りを捧げなくてはならない。

 

という間違った情報が焼き付いてないといいが 

沖縄編14 ー素晴らしい思いつきー

 

初日からレンタカーをホテルの駐車場に停めっ放しだ。

 

わざわざ借りる必要なかったかもな・・

 

窓に流れる景色を眺めながら、タクシーの運転手さんに聞いてみる。

 

「海とか遠くまで送り迎えしたことってありますか?」

 

「・・・」

 

返事がない。たぶん、私の声が小さいんだろう。初日のレンタカー会社のドライバーさんの時と同じだ。悪くとらえ意地を張っても、自分が損するだけである。

私はもう一度、こんどは若干腹に力を込めて声を発した。

 

「海とか・・」

 

「ありますよ、遠くなら空港から水族館まで行ったって人もいますし」

 

 

(聞こえてたんかい)

 

 

しゃべるのをやめた。

 

 

ついた 

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沖縄県立博物館

独特の外観はグスク(城や斎場)の石垣をイメージして作られた、らしい。

小学生の頃通学路で、電気の険針員よろしくブロック塀の間のクモの巣のはり具合を調べていた私は、全部の穴をチェックしたい衝動にかられた。(見た限りクモの巣が1つもないことに驚く)

 

広いロビーには、パラシュートのような柱が何本も降りてきていて、丸くくり抜かれた天井からやんわりと陽の光が注いでいた。

 

人もまばらな空間を、サンダルをパタパタいわせないよう注意しながら歩いていくと、脇にテーブルが置いてあり重箱がのっている。

 

 

 

 

試食かな。

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お皿に箸とは本格的。せっかくだからちょっと頂こうかしら・・と思っていると

職員の女性がやってきて、それは正しい並べ方など子供たちに楽しみながら体験してもらうためのレプリカだと教えてくれた。

 

久々にまともに人と話した私は、食品サンプルを食べようとしていたことなどすっかり忘れ、何故だか職員の女性に一緒に写真に写ってはもらえないかとお願いする。

 

戸惑いながらも笑顔で映ってくれる職員の女性。

 

そうだ、これからはしゃべった人に一緒に写真をとってもらうことにしよう!

 

帰って家族や友達に見せれば、いかにも充実した一人旅をしてきたようにみえるじゃないか!!素晴らしい思いつきに胸躍らせるが、その後誰とも話さないので写真を撮ることもない。

 

博物館を見学した後、同じ建物内にある美術館に寄る。職員の方はみんな丁寧で、展示物の間に座っている方でさえ通り過ぎる際、一礼してくれた。

 

その中のお1人が「どうぞ、奥の写真展もご覧くださいと」勧めて下さったので、言われるまま細い廊下を歩く。

 

展示室に入っていくと、アルミの支柱に釣り糸を渡して作ったような棚があった。

透明の糸の上に写真が並んでいる。光の少ない写真の中に生活を切り取ったような風景が映っていた。路地・子供

 

お尻

 

そうだね・・生活、忘れがちだけれど生尻も生活だ。うん。男性のものと思われるそれは肉感がなく、両サイドに痩せて頬がこけている人のように緑がかったくぼみがある。

 

生活感でてるなー

 

自分を納得させ進んでいくと・・もう1枚の写真の前で足がとまった。

見間違いじゃないかと目を凝らすが確かに映っている。

 

股間

 

沖縄に来て2日目、私は見知らぬ男性の股間を凝視していた。

沖縄編13 ―ちょんまげふんどし姿の女にしか欲情しないという変態的な性癖―

 

いつから起きていたのかわからない、手探りで携帯をとり時間を確認する。

 

4時だった。

 

旅の疲れ、室内と外気の気温差に適応しきれない体、眠り薬

それらをはねのけての4時間睡眠。

もう繊細なのか図太いのかわからない。

 

(オーケー、かえって都合がいいさ。)

 

今日は朝日を見に行くのだから。ネットで調べたら東の海岸にいい場所があるらしい。ゆるい計画性、独断即決、なんと気持ちがよいことか。

 

 

友達はまだ小さい子供に離乳食を作るため、布団から出たころかもしれない。

 

 

突然焦りのような感情がこみ上げてきた。

 

 

みんな一生懸命働いてるのに、私だけのん気に沖縄

同世代の人たちは仕事でキャリアを積んだり、子育てしたり。

会社員・主婦・母親・エステティシャン。なにかしらの肩書を持っていて、ある程度の地位についていて然りの年齢だ。

 

私はここで何をしているの?人に言えるような肩書は全部なくした。

 

「楽しむしかないよ」

 

元夫の言葉を思い出す。

きのう遅くまで電話で話していた。離婚後も食事したり、おもしろい動画を見つけたらメールで教えあったりしている。沖縄行きを後押ししてくれたのも彼だけだった。家計が一緒の頃なら決して許してはくれなかっただろうから、少し寂しい気もするが、二人の関係はこの形で落ち着いている。

 

離婚を考えていると打ち明けた時

 

親や友達はわかりやすい説明を求めた。借金だとか暴力だとか浮気癖だとか、ちょんまげふんどし姿の女にしか欲情しないという変態的な性癖が発覚したとか

 

「それじゃあしょうがないよね」

 

と言える飲み込みやすい理由を提示する必要を感じた。

独身の頃は気ままに旅に出かけたり、恋愛を謳歌していた友達でさえ"我慢が足りない"と私を責める。

 

一度結婚したのであれば続けるべきなのだ。

 

みんな我慢してるのに1人だけ抜けるなんて許さない。そんなのズルい。切羽詰まった圧力があった。

だけどなだめたるように助言してくる人達の中に、私たち夫婦が陥ってしまったどうしようもない負のループを断ち切る方法を教えてくれる人はいない。

 

「自分で自分を縛るところあるよね」

 

「どういうことですか」

 

「なにかやろうとしても、あれこれ考えて動けなくなるでしょ。」

 

「そんなカードが出てるんですか?」

 

「ほら、ここに」

 

占い師さんの指したカードには、ロープでグルグル巻きにされた私の姿があった。

 

 

 

 

ちょっと横になるつもりが二度寝していたらしい。

カーテンから漏れる光が眩しかった。

 

(朝日は明日に延期だな。どうせ上るし)

 

今日もお笑いステージの予定は詰まっているけれど、開演までどこかに行こう。

そう遠くなくて一人でも楽しめる場所、私はコンビニで買った大根サラダの袋を開け、ドレッシングをかける。袋に割り箸をつっこみながら、ホテルのロビーでもらったパンフレットを眺めていた。

沖縄編12 ー地獄編ー

 

「あなたは今、地獄にいます」

 

「・・じ、地獄ですか?」

 

「そうそう、これが現在を示すカードだから」

 

「ホントだ~けっこう地獄っぽいですね」

 

小さなテーブルをはさみ占い師さんとむかいあう。

カップルや観光客が物珍しそうな視線を残し、通り過ぎていった。

 

 

 

ソーキそばでお腹を満たしたあと、ワンピースをきた女性に声をかける。

 

「いくらですか?」

 

海外ではめをはずそうとする、中年エロおやじのような問いかけになってしまったことを悔やむ私に、占い師さんは気にする風でもなく料金の説明をしてくれた。

 

ざっと自分のことを話す。

 

昔から何をやっても続かず。人付き合いも下手。最初は好印象を持たれるが、だんだん相手の要求にこたえるのが辛くなり、キレるか消えるか体を壊すかしてしまう。唯一続いた相手とは結婚したが、別れてしまった。今は実家に身を寄せているが家族ともギクシャクしており、引きこもりがちの生活を送っている。

 

口に出すと、ニュースに出てくる事件の容疑者の略歴みたいだ。

 

「お金のことを気にしていますね?」

 

占い師さんがコインが描かれたカードを指して言った。

 

(・・そりゃ最初に料金のこと聞いたし、第一お金のこと気にしてない人なんてこの世にいないと思うけど。)

 

初めての占いを楽しむ気ではいたけれど、ここまで当たり前のことを言われると興ざめしてしまう。

 

そして、次に出たのが冒頭の"地獄カード"である。

 

マジか。

 

今、誰かが私の位置をGPSで確認したら現在地"地獄"と出るの?ウケる。

 

自分はてっきり天国にいると思っていた。日常を離れ、気候のいい南国でたった1人、最高じゃないか。でも地獄なんだよね?

 

「いま」がどのあたりを指すのかにもよるけど

 

この数日であれば天国だし、この1年であればわりかし地獄といえるかもしれない。それともこれまでの人生を総括した結果、現時点の評価が"地獄"ってことなのだろうか?

 

占い師さんの声がだんだん遠のいていく。潜在的に私の耳が現実を知ることを拒んでいるのか、疲れと満腹感が誘発した眠気によるものなのかはわからない。

 

私はぼうっとする意識の中で必死に考えた。

 

(そりゃ離婚もつらかったし、人間不信だし、いいことないけど家がないわけじゃない、こうして沖縄に来ることだってできた。わりかしいい方じゃないの?・・だけどそれは世間一般と比較した場合の"いい"であって、私個人に限って考えれば親や友達や周りの人たちの顔色を見て、よく映るように必死にもがいてでも結局いいように使われて擦り減ってきた。充分"地獄"じゃないの?針山地獄みたいなわかりやすいやつの方じゃなく、真綿で首しめる系のタイプ!私地獄慣れしてた?ぬるま湯で長風呂してたら、お湯と空気の境界線がわからなくなるみたいな?長いこと地獄にいたせいで地獄にいることすらわからなくなっていたのかも)

 

お金のことを気にしているが当たり前のように、地獄にいることも当たり前に感じていることを見抜いたのだとしたら、この占い師さん

 

 

 

 

すご腕

 

 

 

 

夜、ホテルに戻りベッドに倒れこんだ。

「じーごくーじーごくー、たーっぷり地獄っ♪」

 

たらこマヨネーズの音程で自作の歌をうたいながら、明日は邪気払いに朝日を拝みに行こうと決める。

沖縄編11 ー気回し女は楽しみ方を間違えるー

 

(修行めいてきた。)

 

 

ロビーの椅子でうなだれる。

 

"来たからには元をとらねば"という朝食バイキングで胸やけ的な貧乏性が発動して、お笑いの予定を詰め込んだが、自分の体力のなさを計算に入れていなかった。しかも、席は全部前の方、ジャンプして頭から飛び込めば芸人さんの 足首を掴めそうな距離である。

 

気持ちの休まる時がない。

   

もちろん毎日、何百何千というお客を相手にしている人達だ、1日中同じ女がいるからといって気にはしないだろう。しないだろうが・・キモくはないだろうか。 

 

事前に情報を集めていたから、同じ劇場で1日に何度も見る人がいることは知っている。けれど沖縄まで来てそれを実行する人がいるのか?こんな前方の席で!

 

さっき隣にいた人も「次は首里城行こっか」って話していたし、普通は観光の合間とかにチラと見るものなんじゃないの?来る前にさんざん友達に言われたことが、いまになって染みてきた。

 

さらに私を追い詰めたのは、新喜劇の中にあったお客さんを舞台にあげるという演出。選ばれたお客さんは舞台上でリアクションをとらねばならず、そのプレッシャーたるや掃除の時間ふざけていたところをみつかり、ぶちぎれた先生に順番にビンタされていくに同等。

 

次は自分かもしれないという恐怖でいっぱいだった。

 

抜け出すことも考えたが、とろサーモンの久保田さんがネタ中に席を離れるお客さんを見つけ、悲しそうしているのを目の当たりにし、やはり悪いと思いとどまる。

 

もう自分が選ばれないよう祈るしかない。

 

そんな私に声をかけてきた人がいた。

 

「あの~この後ってなにかあります?」 

 

若い女性の二人連れ。次のトークライブのチケットが余っているので、もしよかったら1枚譲りたいという。

 

「今日、何回目ですか?」

 

私は二人に聞いた。

 

「1回目ですけど・・」

 

「私3回目なんです」

 

二人が驚いている。

 

「じゃあ同じネタを何度も?」

 

「まぁはい。なので次は休んでその次にそなえようかと・・」

 

「そうですか」

 

「すいません。」

 

前を向くと不安が襲ってきた。

いまの、言い方に険があるように聞こえなかっただろうか「何回見てると思ってんの?こちとら疲れてんだよ。」って。二人に嫌な気分をさせてしまったかもしれない。振り返って弁明すべきだろうか。「急に声かけられてつい、みんなに聞きたいと思っていた言葉が最初にでてしまっただけなんです」と「見れるかわからないですがチケット買わせて頂きます」と

 

迷っているうち新喜劇が始まった。

 

幸い、端のほうにすごく反応のいいグループがいたので、舞台に上げられるのはその内の誰かになりそうだった。

 

問題の場面、芸人さんが舞台から降りてくる。

 

なんとこちらに向かっているではないか。目を合わさないよう下を向いていると彼は私の向こう隣、空席に挟まれ1人で座っている女性の手をとった!20代前半と思しきその人物は、最初こそ首を振って抵抗していたものの、根負けして舞台に上がる。そしてきちんとリアクションをとって席に戻ってきたのだ。

 

1人なのに!

 

戻ったところで両隣は空席、労ってくれる友達がいるわけでもないのに!!

 

会場から惜しみない拍手が送られた。

照れ笑いする彼女の顔は輝いている。

 

(あれが楽しむということなんだ!)

 

私も彼女のように一人でも楽しみたい。そのために来たのに。

 

新喜劇が終わり、会場を出る。外は薄暗く、夜に冷やされた風がコンタクトの水分を奪っていく。夕食を済ませぶらついているとかすむ目に占いの二文字が映った。

 

(よしっ)

沖縄編10 ーウケるーとキャーー

 

「ウケるー」

 

 

っていう人の気持ちを知りたい。

 

数年前から「ウケるー」という言葉をきくようになった。

 

「ウケるー」単品で使っているのはあまり聞かない、笑いながらだったり、笑った後だったり。たまに全然面白くないことを真顔で「ウケる」ということで、皮肉めいた使い方をすることもあるようだが、たいていの「ウケるー」は笑いとセットで使用される。

 

楽しんでいることは声や表情で充分伝わっているのに、口に出してあえて言う。

 

 

 

何のために?

 

 

 

自分の状態を言葉にしないと不安になる性分なのだとしたら、泣きながら「ナケるー」って言わなきゃならないし、呼吸しながら「イキテるー」って言ってもらわないと整合性がとれない。 

 

もしや「キャー」と一緒なのかな?

 

憧れの芸能人などを前にすると、女の子達は「キャー」と言う。

 しかし冷静に「キャー」の意味を考えると、適切な言葉が浮かばない。

 

人気のアーティストのライブなどで大勢のファンが声を上げている映像をみて、もしかしたら別の言葉を言っているのに人がたくさんいすぎて「キャー」に聞こえてしまっているのではないかと考えた。

 

例えば「○○さん素敵やー!」とか「もっとこっち来(き)いや━!」とか

 

しかし、その仮説は誤りだということをすぐに知る。

 

とあるお笑いライブに行った時、隣の女子高生がはっきり「キャー」と発音したのだ。「キ」に小さな「ヤ」に伸ばし棒のキャーである。その後女子高生は芸人さんの名前を叫び、泣きながら「キャー」と言った。

 

「キャー」は伸ばし棒をはぶいて「キャッ」として利用されたりもする。

 

ぶつかって「キャッ」スカートがめくれて「キャッ」これを言語能力が最も優れている人類が発しているのだ。不思議としか言いようがない。例えるなら

 

 

 

公用語が"ワンワン"である犬が突然「ゴハン」と言ってきたぐらいの奇妙さ。

 

 

 

ストレスというものは、狩猟民族であった人類が危険を冒して命を落とさないよう脳がブレーキをかける役割を果たしてきた。と何かで読んだ。つまりストレスを感じやすい人ほど自己防御能力に優れていて、子孫を残すことができてきた。ということらしい。

 

「キャー」もこの理論にあてはめることはできないか。古来より非力な女性は「キャー」と言ってきた。言うことで周囲に自分の窮地を知らせることができるし、「キャー」に驚いて敵が逃げていく、というエピソードは最近でもたまに聞く。

 

ということは「キャー」が昔から受け継がれてきた生きる術で、使っているうち活用法が広がり、嬉しい時・驚いた時などにも「キャー」を発するようになったのではないか。

 

ちょい待って、じゃあ「ウケるー」は?

 

「ウケるー」は最近できた言葉だ。ストレス理論は通用しない。それにここはお笑いライブを見る会場。面白い話を聞く場所で、面白い話を聞いて笑うのは普通のことなのだ。みんなウケるべくしてウケているわけであえて「ウケるー」というのなら

 

ジョギングしながら「はしるー」と言わなきゃならないし、レジで財布に手をつっこみながら「はらうー」と言ってもらわないと整合性がとれないではないか。

 

もしかしたら自分の位置を知らせるために「ウケるー」を発動しているのかもしれない。舞台にいる芸人さんが友達か恋人で、(私見てるよ、ここにいるよ)と青山テルマ的ないじらしさでウケるー・・いいや、さっきのトリオの時も「ウケるー」していた。てことは、この舞台に立つ全ての芸人さんを手玉に取る小悪魔か、自分の気持ちを口に出して伝えなければ気が済まない極度の心配性ということになるけれど、どっち?

 

斜め後ろに座った女性に、心の中で問いかけているが答えは返ってこない。